Becauseを始めます。
僕はAIと音楽をつくっている。けれど、曲ができることと、売れる曲を生み出す仕組みをつくることは違う。
天才ではない自分が、AIをまとったら、どこまで近づけるのか。自分の知識が追いつかないところもあるだろう。それでも、試しながら考えたことを残しておきたい。僕の先へ進む誰かに、理由ごと手渡せるように。
そのためのBecause。最初の一篇は、ヒットの表面と、その向こうにいる人について。
秋元康が見ていたもの
秋元康がAKB48で成功した理由を「可愛い女の子を集めたから」だと思っているなら、それは表面しか見ていない。彼が本当に見ていたのは、ファンの心の奥にある「参加したい」という欲求だった。
完成度の高いパフォーマンスより、成長を見守れる余地。手の届かない憧れより、手が届きそうな物語。観るアイドルではなく、育てる関係。AKBはコンテンツではなく、関係性の装置だったのだ。
同じことがテイラー・スウィフトにも言える。彼女は天才的シンガーである前に、天才的リスナーだ。失恋の痛み、理不尽への怒り、自己矛盾──ファンが言葉にできない感情を代弁し、「その気持ち、わかる」を差し出す。ステージで歌っているが、やっていることは大規模な傾聴なのである。
「ゾロゾロ」が見落としたもの
一方、日本のエンタメ業界には「ゾロゾロ品」が溢れた。成功した型を見て、似たようなグループを次々と量産する。「今、流行っているのは何か?」「この成功事例をどう真似るか?」──彼らが見ていたのは現象であって、人ではなかった。
対照的に、K-POPのプロデューサーたちは違う問いを立てた。「この世代は、何に葛藤しているのか?」「言葉になっていない不安は何か?」だからLE SSERAFIMの「ANTIFRAGILE」は、単に「強い」を歌うのではなく、「壊れながら強くなる感覚」を歌えた。完成度だけでなく、内面の告白と世界観に振り切ったのだ。
分水嶺はどこにあるか
ゾロゾロは「現象」を見る。
傾聴は「人」を聴く。
ゾロゾロは、現象を模倣して消耗戦に入る。傾聴は、感情に寄り添い、物語を紡ぎ、長期の関係を築く。ヒットの正体は才能ではない。どこを見ていたか、何を聴いていたかの差なのだ。
傾聴とは、当てに行く技術ではない。一緒に生きる姿勢である。オーディエンスを視聴者として扱うか、参加者として聴くか。これが、秋元康と凡庸なプロデューサーの差であり、テイラー・スウィフトと一発屋の差であり、K-POPと「ゾロゾロ日本」の差だった。
あなたは今、何を見ているだろうか。そして、誰を聴いているだろうか。