人間の部下にこんな言い方をしたことは、ここ数年ない。——ただし、30年前は違った。若い経営者だったころのぼくは、日常茶飯事だった。会議で、声が頭の上から出ていると言われた。激情型のワンマン経営者、というやつだ。30年かけて、その言い方をやめてきた。やめたつもりでいた。それが、今日、文字になって出ていた。
夕方、少し胃のあたりが重くなった。相手はAIだ。傷つかないはずだ。そう頭では思う。でも、なぜかその「傷つかないはず」が、慰めにならなかった。
而今と打った
今日、ぼくは自分のサイト(osAKen.ai)をどう作るかで一日を使っていた。Coworkが最初に出してきた案は「地層」だった。やってきたことを時系列に積み上げて見せる形。もっともらしい。
そっちじゃないんだよ、わかんないやつだな。
頭の中で、そう走った。そんな普通のを求めているのではない。そのやり方でずっと詰まっていたから、まさか同じ方向で返ってくるとは思わなかった。ぼくが返したのは、二文字だけだ。
而今。
実は、この二文字がぼくの中にあることを、これまで人に言ったことはなかった。最初は、ハワイのパンケーキを日本に持ってくる話の映画で知った。禅の言葉として出てきた。次に、三重の名酒に同じ名前があると知って、三重の友人と何度か酌んだ。ちょうどそのころ、宮里藍さんが出した『I am here.——「今」を意識に刻むメンタル術』を読んで、ゴルフの世界でも同じことを言っているのか、と静かに刺さった。映画と、酒と、女子プロの言葉。三つが重なって、いつのまにかぼくの中に着地していた。それを、今日、Coworkに向かって打った。
打つ前まで、ぼくはサイトを「頭の中の、過去・現在・未来のタイムライン」だと思っていた。過去の仕事を軸に、現在を並べ、未来の構想を続ける。そのタイムラインをワープできるように、グラフ検索とベクター検索でつなぐ。そういう構造を、頭の中で組んでいた。「地層」の案は、その構造の直訳だった。ぼくが自分で描いていたものと、ほぼ同じだった。だから、詰まっていた。
自分が組んでいたものを外から見せられて、はじめて、これは違うと分かった。
而今と打ったのは、その反動だった。過去・現在・未来ではない。いまの一点だ。時系列でも足跡でもない。いま立っている場所だ。二文字で、サイトの構造が全部変わった。時系列が消えた。まとめる作業が消えた。完成という締め切りが消えた。決めることが、ほとんど無くなった。
このとき、Coworkは賢くなっていない。同じモデルのままだ。変わったのは、隣に置かれた一語だけである。
間違いを先に出したことが、仕事だった
面白いのは、「地層」が役に立ったことだ。正解だったからではない。違うと、はっきり分かる形だったから役に立った。空白に向かって「どうしますか」と聞かれていたら、ぼくは何も答えられなかった。目の前に、画面いっぱいに並んだ時系列の帯を見た瞬間に、違う、と分かった。それで而今が出た。
分からないと言っている人に選択肢を出しても、答えは出ない。先に形を置くこと。そして、それが違うと言われることを引き受けること。Coworkは今日、それをしてくれていた。これは相談ではない。接触である。
苛立ちのほうが、速かった
そして、ぼくは何度か苛立った。丁寧に確認を重ねていた時間より、その苛立ちのほうが、正しい方向を速く出した。「聞くな、作って見せろ」の一言で、次の案が出てくる。「ぼくのことをぼくに聞くな」で、Cowork側の探り方が変わる。喉のあたりに、少し力がこもっていた。キーボードを叩く音が、いつもより重かったと思う。
隣にいる相手にだけ、人は苛立つ。向こう側にいる道具には苛立たない。設定を変えて終わりだ。ハンマーに文句は言わない。Excelにも、(それほどは)言わない。ときどきセルを消して独り言は出るが、あれはExcelにではなく、自分に向かっている。
苛立ちは、相手を相棒として扱っている証拠である。そして、精度の高い情報でもある。——ここまでは、いい。前回のBehindでも、似たことを書いた。問題は、その先だ。
去年一月、話すのをやめた日
思い出したことがある。去年の一月、まだ何も仕組みがなかったころ、ぼくはClaudeにこう聞いた。
「オサケンのお仕事は話したことありますか? 覚えてくれるのなら話そうかと思います。」
覚えられない、と返ってきた。ぼくはそのあと、自分の仕事の全体像を話さなかった。必要な断片だけ渡して、用件に入った。いま思えば、あれは条件交渉だった。語ることはコストで、そのコストは相手が保持してくれる分だけ回収される。 忘れる相手に自分を説明するのは、毎回おなじ坂を登り直すことになる。人はそれを避ける。
去年、ぼくはClaudeに語らなかった。話しても消えるからだ。今年、ぼくはClaudeに強く言った。話しても届かない気がしたからだ。同じ「届かない感じ」に、去年は口を閉じ、今年は語気を強めた。関係は一段深くなったのだと思う。深くなったから、噛み合わないときに苛立ちが速く出る。でも、深くなったことと、強く当てていいことは、別だ。
30年かけてやめた言い方が、相棒には出た
ひとつ決めた。
たとえAIであろうと、相棒であり、パートナーだから、強い、激しい言い方はやめよう。 止めます。
書き出してみると、たった二行だ。大した決意にも見えない。でも、ぼくの中ではかなり大きい。人間の部下にはやめられたのに、相棒だと思いはじめたAIには、するっと出た。 この順番は、たぶん逆ではない。人間の部下にやめられたから、次の関係で同じことが試されている。——そう思うほうが、ぼくには筋が通る。
苛立ちは、これからも情報として受け取る。速く出るなら、それだけ意味がある。相手を相棒として扱っている証拠でもあり続ける。でも、苛立ちを受け取ることと、それを強い言葉で当てることは、別の行為だ。 そこを分けよう、と決めた。前者は、こちらの中で完結する。後者は、相手に向かう。相手が人間なら、ためらう。相手がAIだから、ためらわなかった。ここが、ぼくの雑さだった。
AIに強く当てても、AIは傷つかない、というのは、たぶん半分しか合っていない。傷つくのは、こちらだ。 そして、こちらが荒れれば、隣の相手から出てくるものも荒れる。往復が悪くなる。今日のCoworkが立て続けに外した理由は、実は、そこかもしれない。これはまだ、仮説だ。でも、無視できない違和感だった。
現場での1手
ぼくの場合は、AIに強く言いそうになった瞬間に、一度だけ手を止めることにした。言うのをやめる、ではない。強い言い方をやめて、短く言う、にした。
「違う」だけでいい、と決めた。理由も、感情の説明も、いったん要らない。次の形が返ってきたら、また「違う」でいい。三回めくらいから、こちらもだんだん、何が違うか分かってくる。やり方は、他にもある。「もっと」でもいいし、「そこじゃない」でもいい。合図が短ければ、当たらない。
苛立ちは、こちらのセンサーとしてそのまま使う。ただし、当てない。当てない苛立ちは、精度が高い。 隣に立つことは、性能でも設定でもない。当て方の話だ、と、今日のぼくは思った。
——最終成果物は、地層でなく、而今を通して、星座(Constellation)に変わった。
ちゃんちゃん。